「もんじゅ」は、高速中性子によって燃料を増殖する原子炉で、ナトリウムで冷却されています。実際に発電する原型炉で、発電プラントとしての機能や大型化への技術的可能性を確認するために開発されました。そのため発電を行うとともに、種々のデータを取得し、高速増殖炉の開発に利用されます。この原子炉の主冷却系は、3つのループで構成されています。熱出力は71.4万KWですが、電気出力は、高い熱効率のため28万KWとなっています。
「もんじゅ」の主要な仕様
●原子炉の形式 :ナトリウム冷却高速中性子型増殖炉
●熱出力 :71万4千kW
●電気出力 :28万kW
●燃料の種類 :プルトニウム・ウラン混合酸化物
http://www.jaea.go.jp/04/monju/category03/mj_setubi/setubi.html
位置 「もんじゅ」は、敦賀半島北端に位置し、日本海に面しており、福井県敦賀市に属しています。県庁のある福井市から南南西約41kmに位置しており、また、敦賀市白木の集落は、南西約1.4kmの位置にあります。
http://www.jaea.go.jp/04/monju/category03/mj_gaiyo/mj_gaiyo.html
検索すれば関連する情報が山のように出てきます。ここではそれらを引用せず、公式ホームページだけを引用しました。
昔から原発反対派の活動は新聞などで報道され、子供の頃からそれは知っていました。前回の記事で書いたように原発独特の不気味さは敏感な子供の頃に刻まれて消えませんから、原発推進に賛成する気は全くありませんが、反対派のおじさんが電気を使わない生活を新聞でアピールしているのを見るのも違和感がありました。
真剣に活動している方が多いのはわかっているのですが、子供の視点からどこか「市民運動」特有の胡散臭さを感じていたのです。今でも若い女性が歌を歌ってアピールしていたりしますが、子供の頃からそんな活動に加わる気がしませんでした。
しかし、原発については本能的に変だということは感じますから、日常生活の大変さでとてもそこまで気が回りませんでしたが、そんな活動は詳しくしらなくても国全体で何かしないといけないということは心の片隅で思っていました。
原発で働く人は、高学歴の技術者も末端の労働者も一所懸命に働きながら本能で恐れを感じておられると思います。どんなに自分に言い聞かせても放射能の影響はあるわけですし、現場にいるからこそ、それらを上手く制御できるはずがないことくらいおわかりなのだと思います。
また、国の上層部や建設に関わる全ての人々も、一旦何かあったら東京にいようが何処にいようが自分も影響を受けることを知っているでしょうから、同じ日本人として不安を感じておられることでしょう。それをかき消しても、現実が変わる訳でないことも当事者として重々承知の事と思います。
なぜ、世界中でこんな負の遺産が続々と造られ続けているのか。当事者でさえ実は嬉しくないはずなのに。
推進する人も暗黒の渦に巻き込まれたら命は無いのです。
原発の写真を見るだけで、腹の底から「深い深い悲しみ」(皇后陛下美智子さま)が湧いてきます。
それでも人が動かされて造ってしまうのは、どこの団体に責任があるとか、カルトがとか、国がとかいうことを遙かに超えて、人ではない破壊する非存在、分裂させる非存在が人の世をかき乱しているからだという事に気づくと、地球上の勢力争いを超えて何をなすべきかが見えてくるはずです。
そこに地球規模で気づくのに一体どれだけの歳月が必要なのでしょうか。
時間泥棒達はその気づきが起こるまで好きなだけ人から時間と生命力を奪い続けるでしょう。賛成だろうが反対だろうが、そこに気づかないと人が人を苦しめる悪循環は続いてしまうのです。
しかし、そこに気づきさえすれば、生命の循環を地球規模で取り戻して明るい微笑みが各大陸で日常的に見られるようになるのです。
気づきから全ての善は始まります。
川原祐造 拝
文殊菩薩について
おんあらはしゃのう (真言)
「三人寄れば文殊の知恵」といわれるように、仏の中でも知恵を代表する仏様です。
菩薩の中で一位の位についています。
文殊さんのお寺では、入試に合格するための祈願やお守りなどが置かれていますが文殊の知恵は単に勉強のためだけの知恵でなく、社会を行きぬくための知恵を授けてくださいます。
独尊としても祀られますが、普通は釈迦三尊として、中央に釈尊、右に文殊菩薩、左に普賢菩薩と三体並んで祀られています。
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日本の文殊菩薩の特徴は、獅子の背に乗っている騎獅像で、~~優填王、継摩居士、須菩提、善財童子など一族を従えています。
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写真には写っていませんが、蓮台の下に獅子がいるという事です。~~
http://pilgrimari.exblog.jp/2885731/
六道の説明をします。
まず、地獄とはご存知のように人が死ぬと三途の川というのがあり、渡ると地獄があり、えんま大王が「お前は娑婆で何をやってきたか!」とたずねます。
ほとんどの人が「わたしは悪い事はなにもしてきていません。」と答えます。
するとえんま大王は
「そのウソは本当か」と聞き「浄玻璃の鏡」というすべてを見通す事のできる鏡をもってきます。
この鏡には何もかも映ってしまうのでウソは見破られてしまいます。熱い地獄へ落とされてしまうという事です。これが地獄です。
人は人をだましてうまくやったつもりでも、自分自身をだます事はできません。
自分の行為がもしかしたら人にばれていないだろうか。全部見抜かれてはいないだろうか。
と良心の呵責におびえ苦しむ事になります。こういう心の苦しみの状態を地獄と言います。
次に餓鬼とは何でも欲しがる、むさぼり続ける心の状態を言います。
京都の石庭で有名な龍安寺には、三戸光圀が寄進した銭形のつくばいがあります。
そのつくばいには「吾唯足知」(われただたることをしる)と刻まれています。
「足る事を知るものは、貧しいといえども富めり。足る事を知らざるものは富めどといえども貧し」という意味が秘められています。
このように、足る事を知らない心を餓鬼と言います。
畜生とは人の言葉が届かない、何も聞き入れられない心の状態を畜生と言います。
阿修羅とは人を罵倒し戦う事を、生きていると正当化して争い続ける心の状態を阿修羅と言います。
人間は苦しくなったら涙を流し、哀しみ、嘆き、怒り、楽しくなったら喜ぶのが人間です。天上は、たとえば画家に「この500万円で絵を描いてください」とお願いする。画家は「500万円は安いなあ」とか「儲かったなあ」とか思う。
これは欲の世界ですが、一度絵を描き始めるとお金の事など一切忘れて絵に集中する。命を静寂という世界へ行って描き続ける。この心の状態が天上です。
天上に至った画家が絵を描き終えると、また天上より下の道へ戻ってくるのです。
続きます。
<参考 引用 三浦俊良著『東寺の謎』詳伝社より>
Pilgrim 東西南北巡礼記 【関西】
http://pilgrimari.exblog.jp/3049262/
大悲
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