道元禅師の『正法眼蔵』現代語訳を以前大書店で見つけました。
道元禅師は皇族の家系でした。幼い頃に父母が他界され親族の庇護のもと仏道の探求を進めていかれました。生まれながらに明敏で、「和し(やわし)」の心もお持ちでした。
数ある「正法眼蔵」の現代日本語訳はなじめなかったのですが、この訳は一家に一揃えしておくといつか役立つという感じの、 自然な日本語で訳されています。
冒頭の数頁は、 坐禅する事以外に禅宗にどんな伝統があるのかわかっていなかった私に、 心の潤いと安堵を与えてくれました。
そのお裾分けをしたいと思って、以下に書き写してみます。 スキャナがあったら楽なのですが手打ちです。
只管打坐ならぬ、
只管打読ですね!
すべてのものごとを仏道の立場である「正しくものを見る道」の上から見るとき、 その一々は真にそのものごと自らのありのままを現成しているから、 迷い、悟り、修業、生、死、諸仏と衆生をありのままに見、明らめるのである。
総てのものごとを無我の立場、仏道で見るとき、迷いもなく悟りもなく、諸仏もなく衆生もなく、 生も死もない。
もともと仏道は有るという立場にも、無いという立場をも超越し囚われないものであるから、 生死を解脱したところに生死があり、迷悟を解脱したところに迷悟があり、 解脱のあるなしを問題としないところに解脱があるのである。
しかもなお、そのことがわかっていながら、人は華の散るのは華を惜しむから散ると見る、 咲かしておきたいと思う頃に散るとなげき、草の生えるのは草を嫌うからと見る。
仏道はものごとを自己の体験として捉えるところに現成する。
自己のほかに、あれこれと識得して、ものごとの真実を明らかにしようとするのが迷いである。ものごとの真実は総て自己の体験として証せられるとき、それが悟りである。
迷いを迷いと悟るのが諸仏であり、悟りに執するのは真に悟っていない人である。悟りの上に悟る人があり、迷いの上に迷う人もある。
悟った人が本当に悟った人であるならば、自分の悟っていることすら自覚しない。しかし、その人は本当に悟った仏であり、悟りからも迷いからも自由な解脱の人もある。また迷いの中に迷い込む人もあるとは、迷に徹する人は迷と対しない、すなわち自覚しない人、超越の人である。
身心を一体として、ものごとを見聞きするならば、見るもの聞くものを直接に知ることができるが、その有様は鏡に影が映る様でも、水に月が映るようでもない。主観と客観とは一体であるから、その一方だけを知ろうとするならば、あとの一方は消えてしまう。
仏道を学ぶと言うことは、自己を学ぶことである。自己を学ぶということは、自己を忘れることである。自己を忘れるということは、無我になることである。無我になると、体験の世界と一つになって他と対立しない解脱の自己を会得することができる。このことは、自分の身心、他人の身心をも脱落することである。悟りのあとかたさえ残さないのである。そのことをいつまでも行い現して行くのである。
人がはじめて仏道(真理)を求めるとき、それを自己のそとに求めるから、遙かにそこから離れてしまっている。仏道がもともと自分のうちにあることを正しく理解され、体験されれば、すぐさま「仏の人」となる。
人が船に乗って岸を見れば、岸が動いていると思い、目を下に向けて船を見れば、船の進んでいることを知る。そのように自己の身心を動揺させて、ものごとの真実を知ろうとすれば、自分の心や本質が永久不変であると思い誤る。
もし自分の行いを正しくして、それによって事実を直視するならば、どのようなものごとも永久不変でないことがわかるはずである。(道元禅師『全訳 正法眼蔵 巻一』中村宗一訳 誠心書房1~3頁より引用)
「すぐさま「仏の人」となる。」で終わっていれば、綺麗ですね。
でもこの訳書は、「永久不変でない~はずである。」で区切ってあります。
他の現代訳は一般人で教養のある人が訳したものばかりのようですが、 これは実際に只管打坐の世界に生きた禅僧が訳されたものです。
道元禅師のように座ったわけではないにしても、 訳語のやわらかさに一般民衆の悩みを聴かれたであろうお人柄が偲ばれます。
結構早く打ち込めました。 スキャナを使うよりも手打ちの方がワープロの訓練にもなりますし、なによりこの道元禅師の言葉を読み返す為に私にとっても有り難い機会でした。
写経したような気分です。
読んで下さった皆様に御仏のお恵みが行き渡りますように。
下記のアマゾンや大書店にもありますが中規模以上の図書館なら置いてあるかもしれません。
川原祐造 合掌
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