曼荼羅図をお寺、テレビ、本・雑誌、美術館などでご覧になった事があると思います。しかし、特に興味がある人以外はあまり注意をはらってみることは なかったのではないでしょうか。絵になっているからといって見ればわかるものではなさそうで、調べることもなく今まですごしておりました。
連山で2つの曼荼羅図をあげて片方を「院」、もう片方を「会(え)」として、これからは「会(え)」の時代になるという話が何度も掲載され、 理解しないとイメージできないので気になって、よいきっかけを探すようになりました。掲載記事のリンクをクリックして曼荼羅図を見比べても残念ながらイ メージが湧かなかったのです。
「院」という閉じた世界と「会(え)」という開かれた世界の対比であることと、「院」はこれまでの会社や団体を中心にした社会のあり方を例えたもので「会(え)」は今まで大きな力を持つことができなかった、組織を超えた人と人との信用・信頼を基にしたつながりを例えたものであることはわかるのですが、ハラに落ちるものがなかったのです。
しかし、先日用事で出かけたついでに寄ったお寺でようやくハラに落ちる体験をいたしました。「なあんだ、そういうことか。」と。全国各地に由緒あるお寺がありますが、訪れたところでは曼荼羅の絵があり、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅が並べられていたのです。PCの画面で両者を並べてみても気づかなかったのに、全く同じ図像でもお寺の中で見るとハッと気づくのですから面白いものです。
理趣経の解説書(松長有慶傳燈大阿闍梨 中公文庫)や、もっとわかりやすい本(大栗道栄傳燈大阿闍梨)をパラパラとめくった事がありましたが、本ではわかりにくかったのです。「百聞は一見にしかず」とはまさにこのことで、目の前の覆いが取り除かれた気がしました。プチ・ニルヴァーナ(覆いが取り除かれる 涅槃)でしょうか。
学院や病院のように閉じた世界である「院」は、それぞれで一応完結しており、違う院と結びあわせるにはややこしい手続きが必要で、院に属する個人が枠を飛 び越えて他の院に属する人と結びつくには仕事から完全に離れて自由な環境の中で結びつく必要があり、それでも仕事に関係してしまうのでお互いを気遣って繋 がりにくいというのがこれまでの時代だったでしょう。ネットがあっても院を基礎とする社会である限りはしがらみから自由になることはむつかしいことでし た。
対して「会(え)」の世界では、各々が自律しており院のような枠がありません。皆が一堂に会しており、それぞれが繋がろうと思えば自由です。ジャンプリンク(下図参照)が容易にできます。
曼荼羅には深い意味が あるはずですが、院と会の例えに利用される際はこれくらいの理解でとりあえず十分なようです。もっと深い意味があって例えに使われているのかもしれません が、最初にこれくらいがイメージできていれば差し支えないのでしょう。こういう事を説明するのにわざわざ曼荼羅を使わなくても他の例えで表現できそうなの にこうしてあるのは、まず日本の伝統を基盤にして水素文明を築く必要があるからだと想像します。
近代的な図解を使えばさらっと終わる話でも、古代からの伝統を使って説明するとわかりにくくなることもあります。しかし、こうした方が本当の日本人であれ ばハラにひっかかり気になって、無意識レベルで探求が始まるのではないでしょうか。日本人の心がなければ、日本語ができても通り過ぎて気づかないかもしれ ません。
今はお年寄りでも日本の伝統を嫌って神仏の話を避けようとする人がとても多いです。それでいて、昭和30年代以降に特に盛んになった理論的実践的唯物論の 活動(テロとも言えなくはない)は正義でありあのころは良かった式の話を嬉々として話したりします。また、アメリカは良い日本は悪いという型にはまった信 念をハラに持ちながら伝統を嫌い続けて「南蛮気触れ(かぶれ)」を続ける人もまだいます。
同じ年代でも、両者から遠ざかり深い知恵に生きる方も多くいらっしゃいます。そんなご老人には尊敬の念が自然に湧いてきます。どうか長生きしてくだ さり下の年代のものをご指導くださいと口をついて言葉がでてくるような方々です。中々簡単にはできないかもしれませんが、そのような方が下の年代に言霊を くださると社会がその分浄化されるでしょう。頻繁に会えるわけではないですが、ご縁があって指導していただける時は、いただいた一言一言がずっしりと重 く、脊髄に入って尾てい骨まで響く深く強い言霊に若輩の心は奮い立つのです。
伝統(tradere)とは、今生きている世代が次代に普遍的なものを伝えていくことであり、伝える過程で新しいものが加わります。コンピュータのOSや ソフトウェアのようにたえずバージョンアップするものです。新しい文明に属する方は、老いも若きも受け継がれてきた大切なものを新しい文明に合わせて次代 に伝え、知恵と知識を存在全体に染み渡らせていきたいものです。私も微力ながらしております。
それができてこそ海外の良きものに気がつき、地球規模、宇宙規模で物事を捉え「天長地久(てんちょう(じょう)ちきゅう〔老子〕天や地のように永久に続くこと)」 「万邦協和」が実現するのだと思うのです。それはあの「虚構将軍」が実行し続けた魔境の道とは対極にある正直、素直な人が溢れる潤いと愛のある世界、弘法大師 空海(1,2、3、4、5)のように偉大ではなくても皆がそれぞれ頂いたもの(得意技)を活かしながら「即身成仏」できる世界なのです。
ここでは曼荼羅の画像を配置・リンクすることはしませんでした。美術館でも見られると思いますが、どこかに真言宗のお寺があればそこに行かれてご覧 いただくのが一番良いと思います。1000年以上続くところであれば、曼荼羅と院・会の意味だけでなく、お寺の雰囲気から伝統(tradere)の本当の 意味も体感していただけると思います。たとえテレビ電話でも実際の体験にはかないません。また、実物をご覧いただくと、その道中にネットでは得られない意 外なご縁が生まれたりするものです。
そして、一見科学と遠い分野に思われますが、少しでも奧に進んでいくと最新の科学に繋がる発想を得られて自然な流れの中で苦手だった物理、数学、化学等の本を手に取っている自分に気づくかもしれません。
川原祐造 拝
鋭い知性と深い愛で言あげいたしましょう。
将来ともに言祝ぐ(ことほぐ)ことができるように。
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